2010年1月11日月曜日

経営学

 この一年半という時期は、アメリカから始まった世界不況の影響で経営学も大きな変更を迫られることになった。近年のアメリカ経営学偏重だった日本経営学は根本的な見直しを迫られている。

アメリカ経営学の基礎にはプラグマティズムというのか、実用主義的な側面があって、今すぐに役に立つものは良いもの、役に立たないものは不要なものという考え方がある。即戦力などというのもこうした考え方によるもので、将来役に立つとか教養的発想は重視してこなかった。

アメリカ経営学は企業を進化論的にとらえ、発展している企業は社会環境に適合しているから人々に受け入れられるが、GMやフォードのように最近までアメリカ社会を支えてきた企業でも、環境の変化に対応できなかったものは過去の産業として見捨てられる。企業はいつも市場を重視して、市場に合わせて発展することを要求されてきた。そしてその発展の指標として株価が利用されている。高い株価の企業は社会が高い評価をしているのだから良い企業というのだろう。そのため企業の経営者は自社の株価を高く吊り上げることに熱心になっていった。業績が上がらなくても株価が高ければ優秀な経営者と評価され高い報酬を手にすることが出来るのだ。

そこで経営者たちは業績が低くても株価を引き上げる技法を開発していった。集めた資本を担保にさらに資本を調達し、その資金を投資信託で増やしていけばリスクも少なく大きな利益を得ることができる。レイバレッジ(てこ)を使って無理やり利益を上げるのである。これも世界通貨であるドルを発行できるアメリカだから可能だったわけで、健全なやり方ではない。このやり方で破綻したのが低所得者向け住宅ローンのサブプライムローンである。一か所のほころびが世界経済の混乱につながったのである。

ヨーロッパや中東の金持ち諸国は、アメリカのこうしたやり方を真似して富を増やしてきた。その象徴がドバイであり、イギリスでありアイスランドである。日本でもグローバル化という名のもとに、このやり方に同調してきたのが批判されている。いわゆる小泉改革もその一つで、国民の人気というものは全く当てにならない。

不況から1年半が過ぎ、欧米諸国の株価は上昇に転じたが、実体経済は相変わらず停滞したままで、再び株価が暴落する二番底の心配もここにある。つまりアメリカ経営学は懲りずに株価の引き上げに熱心なのだ。もっとも、こうしたやり方は、はやく不況から立ち上がるためには有効な手段だと言えないこともない。アメリカに比べて日本の経済は健全だといっても、日本だけが低い株価で低成長、デフレ経済なのでは自慢にはならない。

日本の経営学は、いまその真価を問われようとしている。欧米以外で最初に経済発展の成功を収めた日本が、これから発展の期待されているアジア・南米諸国に対して主導権を発揮できるのか、重要な局面なのである。内にこもって不況が過ぎるのをじっと待っているのではなく、今こそ積極的に世界経済の発展に尽力しなければ日本そのものが過去の存在になってしまうのである。