2018年3月25日日曜日


知識労働の生産性について            
 


 すでに日本の場合、知識を伴わない労働の多くは海外へ移転されてしまった。日本における労働は知識を前提とした労働が主流で、少子化に伴う労働力の減少は、事業の縮小、廃止に追い込まれている状況である。少子化により18歳人口は、今後十数年のうちにさらに20%減少し、労働力不足はより深刻になると予想される。OECDが以前から指摘しているように、先進国最低の労働生産性は現在も変わらない。


 悲観的な指摘ばかりではない。未曽有の少子化ゆえに思い切った働き方の改革をしなければならない状況にあるため、日本が得意とするAI技術やロボットを利用したイノベーションを実現する可能性が高い。弱みを強みに転換することが可能であるというものである。


 知識労働の担い手である知識労働者は、自らの仕事に対して積極的で主体的に仕事を行う。いわばプロフェッショナルとして仕事をこなそうとする。過去の労使関係とは異なり、自分の専門分野を持っているので、自分の専門以外の仕事は行わない。会社の指令で、専門分野以外の仕事を命じられたら、そのような職場は自分の居場所では無いと考えるであろう。知識労働者相手に、労働の生産性を上げようとするならば、彼らに適した仕事を与えることである。それができない職場は労働者を確保することが困難になる。単にモチベーションを上げようとしても、それぞれの労働者に適合した仕事を与えられなければ無駄な努力に終わってしまう。


製造業からの脱却                  

 

P.F.ドラッカーは2002年に上梓した『ネクスト・ソサエティ』において「あらゆる経済大国の中で製造業従事者の割合が最低の国がアメリカである。イギリスがこれに続く。日本とドイツではまだ四分の1近くが製造業労働者である。」と述べている。「日本が競争力を維持していくには2010年までに、これが八分の1ないし十分の1になっていなければならない。」「日本はまた、これまでの教育システムを、今新たに生まれつつある雇用機会、新技術、新市場にいかに適合させていくかという難問にも直面している。」と、日本のイノベーションの必要性について述べている。2018年の現在日本の製造業の対GDP比は20%弱といったところであるが、これには日本の製造業崇拝から脱却できないことと関係している。確かに製造業は、日本の近代化以降、この国を先進国の地位まで引き上げることに大きく貢献いたし、戦後の高度経済成長においても主役の座を占めていた。また、製造業は他部門への波及効果も大きい産業である。残さなければならない製造業はしっかりと残し、途上国と競合する部門は海外へ移転を進め、そのうえで日本経済の主役の座を新たな産業に明け渡さなければならない。

さらに日本のホワイトカラーの労働生産性はOECD加盟先進国中、最下位である。こうしたことを考え併せると今、日本が何をしなければならないのかが見えてくる。新規産業の進展にあわせた労働の移動や、雇用の変化について真剣に検討しなければならない。労働の移動については、製造業従事者を新規産業へ移動させればよいという単純なものでないことは明白である。製造業の従事者が、必ずしも新規産業に適合するとは限らないからである。

 
知識社会における働き方 
 

 人間の労働に対する考え方は、時代とともに変化し続けている。高度経済成長期、日本人の平均年間労働時間は2400時間余りで、休暇も少なく仕事は労働集約的で事故も多発していた。しかし、働く人々は今よりも希望に満ちていたのは確かである。多く働けば多くの報酬を手に入れることができて、豊かさを実感した。ドラッカーも称賛したように、経営者は労働者を会社の経営資源として大切に育ててきた。

近年グローバル化の影響で、労働力をコストと見立て、削減する方向にある。労働者を大切にしてきた日本の経営文化を捨てる必要はない。これから始まる知識社会で働く人々は、その成果を強く求められ高い労働生産性と質が要求される。次の時代の働き方を決めるのは私たちであり、私たちが納得できる働きやすい社会を構築しなければならない。さもないと知識社会は悲惨な社会になってしまう。

理想的な労働環境は、短時間で効率よく働き、多くの報酬を得る希望に満ちた働き方であろう。多くの余暇と多くの報酬を得ることは消費の拡大につながり、社会にとっても決して損にはならない。余暇はボランティアに費やす、と考える人も多いはずで健全なNPO組織を育てるためにも必要なことである。