2020年10月2日金曜日

民主主義を過信するな  

 今春コロナウィルス禍による史上初の世界的な自粛によって、人類は自宅に籠ることになった。想像もしていなかったとか想定外ということが許されるならば、まさにあり得ないことが実際に起こったことは大きなショックであった。私自身も、新たなステージで期待をもって準備していた、あらゆる仕事をキャンセルしてほとんど外出しない生活を続けている。私は仕事を、昔から自宅で行うことが多かったので、籠るのは結構得意ではあるが、当然少し様相が違う。 

 

 第一に社会の動きが手に取るようによく見えるということである。あまりテレビは見ないのだが、それでもネットニュースなどに誰が何を話したとかそれに就いて誰がどのような批判をしているなど、些細なことで上げ足をとるのが流行っているようで、怒ったり謝ったり忙しい。その辺は人々が神経質になっているのだろうと考えていた。これが一時的なことなら看過するが、世界中で同じようなことが繰り広げられていて、少し行き過ぎだから落ち着いてとつぶやく。 

 

 自国優先主義、米中対立、日韓対立、安倍総理退陣、アメリカ大統領選挙など政治をめぐる話題もコロナウィルス禍と相まって激しいものになっている。ヨーロッパやアメリカでは自粛や集会参加、マスク使用の自由をめぐって激論が戦わされ、逆に日本では議論も起こらず、従順に自粛し静かにしているのが当たり前のような見えない圧力を感じる。非常時だから、当然で通常ならこのような議論も対立も起こらないが、だからこそ普段見えない社会の矛盾が一気に噴出してしまったように思える。どの国が最も民主的なのか、民主的なことが良いことなのか、民主主義とは何か改めて考え直さなければならなくなった。政府の支配力はどこまで有効なのか、政府の命令に従わなければならないのか、それは全体主義と違うのか、まさに民主主義の危機である。 

 

 コロナウィルス禍発祥の中国では、全体主義的な支配を行う国家で、近年の尊大な態度や民主主義を軽蔑する態度に、西側先進国は非難を浴びせかけている。中国がまだ経済発展する以前、先進国は中国の格安な人件費と広大な市場を利用して莫大な投資を行い、国際的サプライチェーンに組み込んだ。経済が発展すれば中国も民主主義が発展するはずだと信じていたようだが、そうはならなかった。なぜならば、近年先進諸国の状況は民主主義とは言えないからである。あの格差を見れば、それが民主主義とは言えない。グローバル企業の経営者たちの濡れ手に粟のような資産づくり、いくら働いても貧しさから抜け出せない弱者を自己責任と蔑み、対立と差別の国家が民主主義であるはずがない。 

 

 民主主義の良いお手本が無ければ、途上国や君主国家が民主主義国家になることはできない。先進国は全体主義国を非難するが、先進国が本当に民主主義国なのか良く考えるべきで、その行動を見ると、国家のリーダーたちが自分たちの利益しか考えていないようで、向かっている方向は途上国も先進国も同じように見える。日本は民主主義国家だと誰もが信じているだろうが、それは実に不明確で曖昧なものである。民主主義が大切だというなら常に検証し続けなければいけない。民主主義が不明確あいまいだということを忘れてはいけない。だから民主主義を過信してはいけない。