ステークホルダー(stakeholder) とは組織のおける利害関係者のことである。日本では企業の社会的責任論の中で議論されるようになった。
1970年代日本における企業の社会的責任論で対象となっていたのは、従業員、株主、消費者、と関連企業の4者であった。それが企業の成長と共に、グローバル化の進展もあって地域社会や、自然環境にいたるまで、その対象が拡がってきた。さらに2000年代には「会社はだれのものか」との議論の中で、日本社会では会社は従業員のものという考え方が支配的であった。しかし、欧米のグローバル企業において、会社は「株主ものもである」との強引な主張によって、日本社会でも株主主権という考え方が支配的となってきた。しかし、それは間違えている。
時代と共に、企業の存在価値は異なってくる。次第に企業の役割は重要となっているからこそ、ステークホルダーが増えてくる。しかし、そこに気が付かない企業もあって、時代錯誤の経営者の独善的な経営を行う企業が存在する。組織には、社会にとってなくてはならない組織もあれば、ない方が良いと思われる組織もある。社会になくてはならない組織は、発展するし、皆が支援してくれる。一方、ない方が良い組織は衰退し、それでも誰も困らないから助けてくれない。組織は社会に貢献しなければ、存在価値を失う。だからこそ、会社に影響力を持つステークホルダーが必要なのであり、ステークホルダーが果たす役割もまた、重要なのである。
大きな会社は社会のものである。会社は社会に貢献しなければならない。
会社は株主のものではない。株主のものだと、会社の利益を株主が独占してしまう。
会社は従業員のものではない。従業員のもだと組合の横暴が始まる。
会社は顧客のものでではない。顧客のものだと「お客様は神様」になってクレーマーが増える。
会社は関連企業のものではない。関連企業のものだと利益隠しが行われる。
会社はだれのものでもない。社会のものである。そして会社に大きな影響力を持つステークホルダーは、会社にとってパートナーであることを自覚しなければならない。
欧米の株主主権
会社を設立するに際してスポンサーが出資してくれる。ヘンリー・フォードがスピード記録を樹立した時、スポンサーが現れ、自動車会社を設立することができた。欧米における株主主権はそれなりの理由と意味がある。この場合、会社は株主のものであった。
日本の従業員主権
日本最初の株式会社は三菱の岩崎弥太郎が、彼の自己資金で次々と子会社を設立した。株式会社制度は子会社支配の道具として利用された。さらに日本の老舗会社では会社の運営は優秀な番頭によって経営されてきた。だから会社は数百年に渡り代々受け継がれることができた。優秀な従業員がいないと会社はつぶれてしまう。会社は従業員のもの、といわれる理由である。
小さい会社は、この議論にはなじまない。
「会社はだれのものか」の議論は巨大企業の問題である。それによって、その経営は見つめる方向が違ってくる。間違えてはいけない。大きな会社は社会のものである。
経営学の研究室です。 かつてドラッカーは、現代の日本に対して明治維新に匹敵するような大改革が必要だと述べていた。そして現在、その大改革が始まったと認識している。それも、ただの変化ではなく資本主義という体制の変化にもかかわるほどの大きな改革である。 日本だけの問題ではなく、この改革は全世界的な流れである。異常な格差社会、難民問題、先進国の民主主義も金による横暴の前になすすべもなく、すっかり汚されてしまった。このような時代に私たちはどのように対処し、どのような経営哲学を模索すればよいのだろうか。時代の大きな流れを歴史の中から読み取り、冷静に現実を受け止めるしかない。 研究室のボス
2018年12月18日火曜日
2018年12月11日火曜日
メンタルヘルスマネジメント
やりがい搾取という用語が話題になったのは10年ほど前のことで、大志を抱く若者に、夢の実現を叶えるような仕事を与え、過剰に働かせるというものである。若くして思いもかけず店長やリーダーに抜擢され、あるいは自分が最もやりたかった仕事を与えることで、彼らは喜んで一生懸命に仕事に励むことになる。彼らはやがて、低賃金で長時間労働させられていたことに気が付くが、激しい体力の消耗で罹患してしまう者も多い。
従業員に自社製品を売りつけたり、ノルマと称して過剰に物品を販売させ、売れ残ったら自分で買い取らせるなどの行為を行っている企業も多く、以前大手コンビニエンスストアやファミリーレストランでアルバイトをしていた学生が、仕方なしに大学内でクリスマスケーキを売り歩いていたことがあった。呉「服チェーンに就職した卒業生が、先輩社員から高価な和服を売りつけられ、ローンの支払いに苦しんでいた者もいた。会社が夢の実現をお手伝いする」などの言葉には要注意である。
・笑顔がなくなった
・独り言を言うようになった
このような症状が出たら、軽いうつ状態である。職場を変えるか、病院に行くべきである。
・鏡で表情チェック ・ネガティブな言動は慎む
・自分に良い環境をつくる ・自分がいやなことをやらない
・がまんしないで言いたいことは言う
・瞑想などで心身の状態を整える
・無理しない
・環境を変える
・必ず病院に行く
2018年12月4日火曜日
女性労働の問題について
現在日本の20代男女の賃金格差はほとんどないのだが30代以降、女性が結婚、出産、育児によって職を離れることによって格差が広がり、50代男女の賃金格差は年間360万円もある。2017年、世界経済フォーラムが発表した「ジェンダー・ギャップ指数(男女格差を測る指数)」によると日本は144カ国中114位(2016年144カ国中111位)と先進国、途上国を合わせた順位でも極めて低い順位にある。
これは、日本における女性労働についての慣習が、女性を労働の場から切り離してきたことと関係していて、女性は家庭を守り、子育て、育児、介護などを担当する役割と考えられてきたからである。現在でも女性が男性と同じように働こうとすると、乗り越えなければならないいくつもの関門が存在する。
安倍政権は一億総活躍社会を推進しているが、これも少子化による生産労働人口の減少を女性や高齢者の利用で補おうとする意味合いが強く、決して女性の社会的地位を高めようとするものではない。少子化担当大臣を置いてはいるが、保育園をたくさんつくることに主眼が置かれ、男子は育児、教育、介護に参加できない社会制度の中で、女性の負担は増すばかりである。
育児の中で、子供は頻繁に体調を崩し、保育園や幼稚園は体温の高い子供は預かってはくれないし保育中、体調不良の子供は母親に引き取りに来るように電話がある。働く母親は、そのたびに、周囲に気兼ねしながら早退や欠勤を繰り返し、ついには退職せざるを得なくなるのが現状である。本来そのような場合、周囲は協力するべきなのに、あまりにも働く母親に冷淡で、それを当然視するこの社会は異常である。さらに母子家庭になると、周囲はそれ以上に冷淡で、子供の貧困の問題もこのような社会の中で増えているのが現状である。電車や公共の場でも、子連れの母親が周囲に気兼ねしながら小さくなっている状況をよく目撃する。子連れの母親には男性だけではなく、女性もまた味方になってはくれない。
男性も、決してこの問題に無関心なのではなく、忙しい中できるだけ共にこうした問題を乗り越えようとしているのだが、現実問題としてそれだけの時間が与えられていないし社会の偏見も大きく、この国で主体的に男性が育児を行うことは、ほぼ不可能である。介護も同様で、女性は自分の親だけではなく、夫の親の介護まで負担させられては、結婚生活に希望は見いだせないし結婚しない女性が増えるのは当然で、少子化はその結果でもある。
本来、職場には医療関係者が常駐する育児施設を設け、育児しながら働けるようにするべきであり、男女同じように育児を行えるようにしなければいけない。先進国を自認するなら、最低その程度のことは準備するべきなのに、そのことに気が付きもしない
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