近年話題になっている「働き方改革」についても同様の評価があるものの、残業が後ろめたいものと認識し始められていることは、それなりに効果なのかも知れない。しかし、働き方改革が残業の問題に集約されてしまい、もっと大事な労働の本質を議論しなければならなかったのに、この部分は葬り去られてしまったのは、何か意図的なものを感じる。つまり、議論させたくなかったのか問題の所在そのものを覆い隠してしまったようである。
経済の二重構造は解消するどころか、ますます拡大し、大企業の労働者は比較的短い労働時間(1800時間)で賃金は高く、福利厚生施設は充実し、働く環境も良好であるのに対し、中小企業労働者は長時間労働で、少ない賃金を補うために残業を余儀なくされているにも関わらず、残業カットによる賃金の減少は議論ざれなかった。さらに正規雇用と非正規雇用の問題も非正規雇用者を2000万人も増やし、彼らに残された正規雇用への道をふさいでいるのは何のためなのか議論されなければならなかった。残業の問題などは、労働者の自由に任されるべき問題で、他人が口を挟むことではない。ただサービス残業や、残業の強要が行われていたことが問題なので、残業そのものについては労働者の自由裁量の範囲である。
このブログを始めた当初から、「大きな変化の時代が来る」と言い続けてきたが、いよいよ、その変化が誰の目にも見えるようになってきた。変化はすでに起こっていた。経営管理に関するすべてが大きく変わる。働き方が大きく変わる時が来た。企業に頼る時代は終わった。企業に雇用され、指示・命令で働くのではなく、一人一人が自分で仕事を選び、そのために必要なスキルを身に付け、プロフェッショナルとして企業を利用して働くのである。プロがプロの仕事をするために企業が必要なのであって、企業が主役ではなく、働く人々が主役になる時代である。ある一面、厳しい時代なのかもしれない。企業に頼って働く方が楽かもしれない。しかし時代はすでに変わってしまったし、戻れない。この変化を見ようとしなければ、人も企業も置いて行かれる。就職とか定年などという言葉も過去のものとなるであろうし、あたりまえだけれども自分のことは自分で決めるべきであり、当たり前なことなのに、現在の経営管理は自分のことを他人が決めていることにお気が付いていない。このような時代の変化を捻じ曲げようとするものはいつの時代にも存在するが、この変化は明治維新にも匹敵するような変化である。明治維新期にも時代の流れを止めようとして争った人たちが多く存在した。しかし、結局大きな時代の変化には勝てなかった。変化に付随して起こる諸問題は、その都度解決していけばよいので、大きな流れの方向を見失わないように心がけることが必要である。
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