2013年7月9日火曜日

グローバル化と人口問題

     ウォールストリートジャーナル誌はアベノミクスに足りないものとして「移民の受け入れ」を指摘した。この問題は、今始めて語られたものでは無く、以前からP.Fドラッカーは著書「 ネクスト・ソサエティー」の中で、日本は移民の受け入れについて考えなければならないときが来る、と述べている。私も講演会などで、たびたびこのドラッカーの指摘した移民について話を紹介してきましたが、これに肯定的な意見はほとんどありませんでした。たとえ人口の減少が起こっても、豊かな日本を維持すべきという意見がほとんどでした。

   さて、それではこのまま減少が続き、今世紀末には今の半分の人口になった時、果たして今のような豊かな社会を維持することが可能だと考えますか。空き家ばかりで、すべてが半分になった時、インフラの維持さえ出来ず荒廃した社会が出来上がることになります。その時になって移民の受け入れをしても優秀な人材は得られない。今ならばまだ、世界中から有能な人々が来てくれる。もっと想像力を働かして次の時代に備えるために議論を始めましょう。

2013年7月2日火曜日

農村とグローバル化

    グローバルな社会は、自分たちで築き上げた社会というよりも、まるで誰からか与えられた社会のように思える。農業の未来が、農家による生業、家業的な個人農業ではなく、グローバル資本による大規模な産業としての農業にとって変わることは容易に想像がつく。より大量の農産物を安価に生産するにはそれしか方法がないからだ。そして余った農産品は海外へと輸出され、グローバルな企業は利益を得る。

    グローバル化によって長い歴史を持つ日本の農業は根底から崩され変わってしまう。それは、必ずしも日本の農村が求めてきたでものでもなければ、農村社会の責任でもなく、時代の流れなのだろう。数千年の歴史によって、ゆっくり構築されてきた日本の農村社会が悪いわけがないのに。

    私たちが求める本当に豊かな社会と、予想されるグローバルな社会の乖離は大きく、すべては産業革命以後起こった富を求めることに貪欲で、急ぎすぎる社会に原因がある。私たちはもう一度、未来が私たちの手によって造られることを確認しなければならない。