2019年10月3日木曜日

日本の官僚制度


 日本における官僚制は古い歴史を持ち、現在では政治家のように国民から選挙によって選ばれたわけではないが、官僚とは一般的に行政の仕事に携わる公務員であり、その組織制度は専門化・階統化された職務体系と明確な権限の委任、文書による事務処理、規則による職務の配分といった諸原則を特色とする。
日本において官僚制度はたいへん重要なもので、法律を創る立法権は国会にあるが、日本の多くの政治家は、政治家になるための訓練や学修を行っていない。多くの政治家が世襲であり、政治家の親の後を継いで政治家になるか、欲望と野心の結果政治家になるものが多い。したがって、日本の議員は法律の造り方や議論の進め方、積み重ねられてきた議論についての知識を持ち合わせない。そのため議会での議論は質問する者も、答える者も官僚に頼るしかなく、法律も事実上官僚によってつくられているのが現状である。
政治の一貫性や継続性という面において日本の官僚は大変優れた存在である。内閣がどのように変わろうとも、官僚が、外交や政策を矛盾なく継続できるのも優秀な官僚の存在があるからである。

明治初期の高級官僚は薩長土肥、中堅・下級官僚は幕臣出身者が占めたが、1880年代以後、情実任用にかわり資格任用の制度が確立、帝国大学などの官吏養成の教育機関を整備し、卒業者が国家の指導者的地位につくようになった。戦後も70年代半ばころまでは、官僚が全体の利益を考えて新しいビジョンに挑戦し、政治家はそれに立ちはだかる個別利益の擁護者であるとの見方が一般的であった。ところが、70年代後半に、日本の官僚の働き方に大きな変化が起こった。その理由として。早稲田大学の西村吉正氏は、その理由について以下のように述べている。

(1)平等思考の強い日本では、経済的報酬と社会的評価、つまり「カネと名誉」の配分には極めて敏感で、藤原正彦氏の「国家の品格」に書かれているように、尊敬された江戸の武士は、権力と教養はほぼ独占していたものの、まるっきり金がなかった。それと比較できるように、高度成長期の官僚の処遇は劣悪で、「金よりも仕事」だということで霞ヶ関には人材が集まった。国民もバランス感覚により官僚制の欠点を大目に見るところがあった。しかし70年代後半から官民格差是正や天下りによる生涯給与の調整で官僚の、「清く貧しく美しく」というビジネスモデルが崩れた。それが日本人の官僚への社会的支持基盤を喪失させた。
(2)競争試験を通じて国立大学や官僚機構が社会的流動性、社会階層入れ替え機能を高める機能を果たしてきたが、これらがその機能を喪失した。昔は貧しい家庭の子供でも勉強が出来れば官僚となり社会的リーダーとなることができた。特に東大法学部は社会階層入れ替え機能を果たしてきた。しかし、現在は東大の学生の親の所得は日本で最も高い水準であり、また地方出身者比率の激減により、官僚機構は既得権維持装置と見られ庶民の支持を喪失した。
(3)市場の失敗・政府の役割が強調された福祉国家実現までの時代は、官僚制は自らの存立意義を立証する必要性がなかった。今のような市場原理中心主義になってくると、官僚制はその有意義なことだけでなく、自らが「有害でないこと」の証明を求められる始末である。その結果、公務員の仕事が大変やりにくい時代となってしまった。

 政と官の関係に大きな変化の結果、政治家は官僚を取り込んで支配しようと試み、官僚は自身を独立した存在として力を持とうとした。そのような中で企業経営者が両者に割り込み、いわゆる「政官財の癒着」が起こったのである。
 政官財の癒着とは、この三者が互いに協調、利用し合う制度のことである。政治家は行政に官僚の助けを求め、官僚は退職後の再就職を政治家に依頼する関係である。財界は政治家の選挙に資金や投票に協力するとともに、財界にとって都合の良い法律の制定をお願いする関係である。近年、この三者の結合は利益の供与だけではなく、学閥や血縁による閨閥の形成を行い、日本社会の強固な支配体制を確立した。



0 件のコメント: