2018年12月18日火曜日

ステークホルダーはパートナー

ステークホルダー(stakeholder) とは組織のおける利害関係者のことである。日本では企業の社会的責任論の中で議論されるようになった。
1970年代日本における企業の社会的責任論で対象となっていたのは、従業員、株主、消費者、と関連企業の4者であった。それが企業の成長と共に、グローバル化の進展もあって地域社会や、自然環境にいたるまで、その対象が拡がってきた。さらに2000年代には「会社はだれのものか」との議論の中で、日本社会では会社は従業員のものという考え方が支配的であった。しかし、欧米のグローバル企業において、会社は「株主ものもである」との強引な主張によって、日本社会でも株主主権という考え方が支配的となってきた。しかし、それは間違えている。

時代と共に、企業の存在価値は異なってくる。次第に企業の役割は重要となっているからこそ、ステークホルダーが増えてくる。しかし、そこに気が付かない企業もあって、時代錯誤の経営者の独善的な経営を行う企業が存在する。組織には、社会にとってなくてはならない組織もあれば、ない方が良いと思われる組織もある。社会になくてはならない組織は、発展するし、皆が支援してくれる。一方、ない方が良い組織は衰退し、それでも誰も困らないから助けてくれない。組織は社会に貢献しなければ、存在価値を失う。だからこそ、会社に影響力を持つステークホルダーが必要なのであり、ステークホルダーが果たす役割もまた、重要なのである。

大きな会社は社会のものである。会社は社会に貢献しなければならない。

会社は株主のものではない。株主のものだと、会社の利益を株主が独占してしまう。
会社は従業員のものではない。従業員のもだと組合の横暴が始まる。
会社は顧客のものでではない。顧客のものだと「お客様は神様」になってクレーマーが増える。
会社は関連企業のものではない。関連企業のものだと利益隠しが行われる。

会社はだれのものでもない。社会のものである。そして会社に大きな影響力を持つステークホルダーは、会社にとってパートナーであることを自覚しなければならない。

欧米の株主主権
会社を設立するに際してスポンサーが出資してくれる。ヘンリー・フォードがスピード記録を樹立した時、スポンサーが現れ、自動車会社を設立することができた。欧米における株主主権はそれなりの理由と意味がある。この場合、会社は株主のものであった。

日本の従業員主権
日本最初の株式会社は三菱の岩崎弥太郎が、彼の自己資金で次々と子会社を設立した。株式会社制度は子会社支配の道具として利用された。さらに日本の老舗会社では会社の運営は優秀な番頭によって経営されてきた。だから会社は数百年に渡り代々受け継がれることができた。優秀な従業員がいないと会社はつぶれてしまう。会社は従業員のもの、といわれる理由である。

小さい会社は、この議論にはなじまない。
「会社はだれのものか」の議論は巨大企業の問題である。それによって、その経営は見つめる方向が違ってくる。間違えてはいけない。大きな会社は社会のものである。





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