2018年11月26日月曜日

知識労働者の生産性向上について


知識労働者の生産性向上について

 

日本の製造業の生産性は世界でもトップクラスであることは言うまでもないが、一方でホワイトカラー、つまりオフィス労働者の生産性はアメリカに比べて、半分ほどであるといわれている。このことについてOECDは日本に対して幾度も生産性の向上を進言してきている。それなのに日本は長い間、この問題を放置してきた。その理由は経済的な問題ではなく、社会的な問題だからである。日本では経済より社会の問題、つまり生産性を上げることで失業者が増えることを心配してきたのである。

 

いまなぜ、生産性の向上が必要なのかといえば、「少子高齢化だから、少ない人数で働かなくてはいけないので生産性を上げる」というのは当然である、というのは何か少し違うように思える。何のために生産性を上げたいのか、生産性が高いことが良いことなのか、それでよい社会になるのか、生産性の向上が労働者にどのような利益があるのか、そして社会にどのような貢献ができるのか、本当に生産性の高い職場で働きたいのか、生産性向上の持つ意味を考えなければいけない。

 

経済の問題と社会の問題を分けて考えよう。生産性の向上は経済の問題で、生産性を上げることで今より豊かな社会を実現することができる。一般的に生産性向上は「アウトプット/かけた時間」で理解されている。ドラッカー流にいえば、時間をまとめて仕事に集中するということである。細切れの時間では知資金労働者の仕事は出来ない。知識労働者は成果を求められるので、集中して仕事に向き合わなければならない。そしてより短時間に成果を上げるために様々なツールを使いこなし、協力者を探して効率的な仕事のやり方を身につけなければならない。

 

次に社会の問題についても考えてみよう。人口が減って生産労働人口はさらに減り続けるので生産性を上げ、豊かな社会を維持する必要があるというならば、日本が豊かだった1970年の日本の人口は今より2000万人も少くなかった。結局、何のために働くのかという問題になってしまうのだが、生産性が所得の増大につながり、社会の役に立つというならば生産性の向上も必要だと思う。そうではなく労働者が少なくなるという理由だけでは、生産性向が必要というならば、それは労働者のためでも、社会のためでもなく、企業の利益のためなのではないかと考えてしまう。もう少し議論を深める必要がある。

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