2019年12月2日月曜日

 女性労働の問題について 

何が問題なのか
 現在日本の20代男女の賃金格差はほとんどないのだが30代以降、女性が結婚、出産、育児によって職を離れることによって格差が広がり、50代男女の賃金格差は年間360万円ほどである。2017年、世界経済フォーラムが発表した「ジェンダー・ギャップ指数(男女格差を測る指数)」によると日本は144カ国中114位(2016年は144カ国中111位)と先進国、途上国を合わせた順位でも極めて低い順位にある。
 これは、日本における女性労働についての慣習が、女性を労働の場から切り離してきたことと関係していて、女性は家庭を守り、子育て、育児、介護などを担当する役割と考えられてきたからである。現在でも女性が男性と同じように働こうとすると、乗り越えなければならないいくつもの関門が存在する。
安倍政権は一億総活躍社会を推進しているが、これも少子化による生産労働人口の減少を女性や高齢者の利用で補おうとする意味合いが強く、決して女性の社会的地位を高めようとするものではない。少子化担当大臣を置いてはいるが、保育園をたくさんつくることに主眼が置かれ、男子は育児、教育、介護に参加できない社会制度の中で女性の負担は増すばかりである。
 育児の中で、子供は頻繁に体調を崩し、保育園や幼稚園は体温の高い子供は預かってはくれないし保育中、体調不良の子供は母親に引き取りに来るように電話がある。働く母親は、そのたびに、周囲に気兼ねしながら早退や欠勤を繰り返し、ついには退職せざるを得なくなるのが現状である。本来そのような場合、周囲は協力するべきなのに、あまりにも働く母親に冷淡で、それを当然視するこの社会は異常である。さらに母子家庭になると、周囲はそれ以上に冷淡で、子供の貧困の問題もこのような社会の中で増えているのが現状である。電車や公共の場でも、子連れの母親が周囲に気兼ねしながら小さくなっている状況をよく目撃する。子連れの母親には男性だけではなく、女性もまた味方になってはくれない。

男性による育児や介護
 男性も、決してこの問題に無関心なのではなく、忙しい中できるだけ共にこうした問題を乗り越えようとしているのだが、現実問題としてそれだけの時間が与えられていないし社会の偏見も大きく、この国で主体的に男性が育児を行うことは、ほぼ不可能である。介護も同様で、女性は自分の親だけではなく、夫の親の介護まで負担させられては、結婚生活に希望は見いだせないし結婚しない女性が増えるのは当然で、少子化はその結果でもある。
 本来、職場には医療関係者が常駐する育児施設を設け、育児しながら働けるようにするべきであり、男女同じように育児を行えるようにしなければいけない。先進国を自認するなら、最低その程度のことは準備するべきなのに、そのことに気が付きもしない。

女性労働問題は、男性労働問題でもある
良く知られているように、日本人の労働時間や働き方は過酷である。家庭労働を女性に押しつけることによって、はじめて男性の仕事が成り立つ仕組みは、以前から指摘されてきたことではあるが、その問題が解決されないのは、いくつか理由がある。資本主義初期の頃は、男尊女卑的な思考が社会に残っていたのは事実であるが、現在社会においてなぜそれが正されないかと言えば、出産・育児・教育・介護という問題に企業が関わりたくないからである。社会が負わなければならないこれらの問題を家庭に、それも女性の仕事として押しつけ、男性には社畜のように働いてもらうためである。
 男性は家族を守るため、働けば働くほど家庭の問題から目を背けることになり、本来社会生活の中心が家庭でなければならないのに、次第にその中心軸が会社の中に置かれるようになる。本来、家庭の仕事は皆で分担しながら、助け合うのが当然なのに、男性労働者はそれができないほど会社に酷使されているのである。

女性労働は家計補助的労働
学校を卒業して就職する場合は男女とも大きな差別はなくなったが、結婚・出産を期に職場を離れる女性の数は多く、子育てが終わり再度社会で働こうとしても、今度は容易に再就職できない。多くの場合、パート労働しか出来ないのである。日本では基本的に一度退職したら、二度と戻れないのがこの国の企業のルールである。若い頃、高い能力を認められて働いてきても、パート労働では学生アルバイト以下の賃金しか得ることは出来ない。

税制も女性の社会進出を阻害している

 扶養家族制度は、生活を一にしている配偶者や、子供、両親などを、生活面で金銭的に助ける制度である。専業主婦の場合、当然扶養家族に該当するのであるが、女性が社会復帰して仕事を始めると、扶養家族から外され、夫の収入は減額され、女性は自分の収入の中から所得税、住民税、各種社会保険を支払わなければならない。そのためにはフルタイムで働かなければならず、家庭の仕事は男性同様に不可能になる。そこで、夫の扶養家族として認められる年収130万円未満のパート労働に甘んじなければならず、本格的な社会進出は出来ない。

どのような社会にしたいのか
 こうした問題を社会や国が悪いというのは短絡的である。主体は私たちであり、私たちがどのような社会を構築したいのかという問題である。現在の体制は、高度経済成長期の社会に適合するように創られた制度で、当時としては理想に近かった。時代は変わり、社会や家庭の在り方も変わったのに、制度が変わらないからこのような問題が起こるのである。どのような制度にしたら、より働きやすい社会になるのか、考えて変えなければ何も変わらないのは当然である。理想的な社会を待っているだけではよい社会になるはずがない。声を上げ、理想的な社会に変えるために行動するのは私たちの役割である。

0 件のコメント: